この世はすべて「期待を裏切らないということ」が重要?


期待を裏切られることはよくある。あらゆる側面でそうだ。お店のサービスや、好きになった子の思わぬ行動や、アイドルの熱愛報道などがそれにあたるだろう。
われわれは、あらゆるものに「期待」をかけ、その期待に応えてもらえたか否かをあらゆるものを判断する基準に使っているといえる。「期待をかける」というと恩着せがましく聞こえるが、「信頼する」という言葉にすれば聞こえがいい。もっと厳密に正確に言えば、「信頼を押し付ける」とでも言うべきか。

恋人が別れる理由、夫婦が離婚する理由、従業員が辞めていく理由、お店から客が離れていく理由、それらは極論すれば、「期待に沿わなかった」という事象に結論づけることができる。

私には、7年付き合って同棲している彼女・婚約者がいるが、よくよく考えてみると、彼女は期待を裏切らない。私の彼女に対して抱く期待を柔軟に察知し、それを外れたことをしない。恋人同士、夫婦同士がうまくいくかどうか、少なくとも続くかどうかは、相手の抱く期待を察知する能力とそれに応える、ないし外れない能力との相性によるように思う。

この世にある様々な商品・サービスもそうだ。「ものすごい!」「すごい!」と宣伝を打って、たいしたことないと期待を裏切ることになり、リピーターは来ない。逆に何もプロモーションしないのに価値がある商品は、クチコミなどで爆発的に普及したりすることがある。

イオシスという中古PC/携帯白ロムショップがあるが、「けっこう安い」というキャッチコピーを使っている。これは期待値を上げすぎずキャッチーなキャッチコピーで非常に上手いと思う。それなりに安ければ期待を裏切るということはないし、期待に応えられることが多く、ショップに対する信頼を生むように思う。

「相手の期待を察知する能力」と「それに応える、ないし外さない能力」この2つは、少なくとも現代日本で快適に暮らすためには必須の能力らしい。
でも、価値観の多様さが明確化してきている昨今、少なくとも人間関係においては、相手の期待に応え続けることは難しいし、それが自分にとって幸せかどうかはわからない。

そう考えると、「相手の期待を察知する能力」と「それに対して外さない能力」と「自分の価値観に反しないようにする能力」が、コミュニケーション能力と最近呼ばれるものなのかもしれない。

そんなことを考える金曜日夜。

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