Linux Mint 公式ブログでフリーソフトウェア開発者の苦悩面が語られていた

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「開発」イメージ

Linux Mintは、私も常用しているUbuntuベースのとても実用的かつ人気のLinuxディストリビューションになります。ウインドウマネージャーとして、Gnome2系からフォークして使い勝手を向上させ続けている「Cinnamon」や、同様の流れでより軽量の「MATE」をメインに採用しているディストリビューションになります。

海外のLinuxディストリビューション情報配信サイトであるDistroWatch.com: Put the fun back into computing. Use Linux, BSD.における、ディストリビューションの人気ランキングでも、だいたい上位にいるディストリビューションです。

個人的にも、すでに数年間常用しており、全く不満はありません。まぁ、Ubuntuでもいいんですが、軽量でより安定していますし、ネット上の情報でUbuntuの情報がだいたいそのまま使えますので、デスクトップLinuxでUbuntuだとちょっと重いという人に安心しておすすめできるディストリビューションだと思っています。

公式ブログで語られた苦悩

さて、そんなLinux Mintなのですが、3月の公式ブログ記事で、フリーソフトウェア開発、コミュニティ運営者としての苦悩が語られていたようです。ちょっとネガティブな記事ではあるのですが、すでに4月のブログ記事(Monthly News – April 2019 – The Linux Mint Blog)においては、当該ネガティブな記事に関する前向きな反応がたくさんあったことについて、感謝が伝えられているので安心してはいますが、Linux Mintの開発も簡単なことではないようです。

当該ネガティブな記事ですが、元は英語な記事を下記にテキトー直訳(一部意訳)してみました。

Monthly News – March 2019 – The Linux Mint Blog

たくさんのサポートと寄付、フィードバックとアイデアをいただきありがとう。今日は、フリーソフトウェア開発のネガティブな一部の側面の話をしたいと思う。ただその前に、Linux Mintのコミュニティやこんなにものサポートを得られてここにいるという得難い幸運を得ていることは強調しておきたい。

欲しいものを得るのは常に簡単というわけではなく、何を得たいかを定義することすら難しいこともある。しばし集中して開発に取り組めるかもしれないが、しかしできたものに疑問をいだき、リリースできないかもしれないというような疑問をいだくこともある。ネガティブな反応ややり取りによって、やる気をなくし、不安定になり、失望するかもしれないし、あまつさえそれらが、開発を離れて休憩したいと思わせるかもしれないし、プロジェクトから去ったほうが良いと思わせてしまうかもしれない。そして我々が成し遂げたものを単に楽しんでくれている方を見ることがチーム全体を加速させるかもしれないし、もしくは、頂いたメールやコメントに幸せを見いだせるかもしれないし、修正や実装に導くような前向きなやりとりに満足を覚えるかもしれない。

私個人としては、この開発サイクルを長らく楽しんでは来れなかった。我々の才能に溢れた開発者のうち2人が去った。Muffin Windows Managerの開発効率をあげることは、今に至るまで一筋縄ではいっていない。新しいウェブサイトやロゴへのフィードバックは、とても不安にさせられた。我々は今後、最終的には大きなリリースができるんだろうし、十分な改善も成し遂げることができるんだろうと思う(すでにある程度はできている。)。それでも、我々は強くなければならず、自信を持ち続けなければならないが、開発に多くの時間を費やしても1ヶ月後にはできていないかもしれないし、違う問題を引き起こしているかもしれない無いし、一部の人には勧められるが、他のユーザーには勧められないものになるかもしれないことを考えれば、それは簡単ではない。

働くチームにとっては、開発者は自らをヒーローのように感じなければならない。彼らはユーザーと同じものを望んでいる、かれらはユーザーであり、開発のはじめからの”唯一の”ユーザーである。どこかの段階で開発に参加することを決意し、時間を捧げ、努力と気持ちをプロジェクトの発展に費やしてきたのだ。彼らがもとめているのはサポートであり、幸福だ。彼等に必要なのはバグを理解するためのフィードバックであり、機能リクエストであり、何かを実装し終えたときヒーローのように感じられることだ。彼等が文字通りその開発者なのだ。これこそがまさに彼等がプロジェクトに参加してくれている理由の一部なのだ。

(開発チームに対し)私は先月に500人もの人々がお金を寄付してくれたんだと伝えることができる。私は、チームにどこにいる人々がどれだけLinux Mintを愛しているかを伝えるメールを転送することができる。私は、彼等が違いを作り出していると彼等に伝えることができる。でも、幸せなユーザーとの直接のやりとりや、開発者がなしとげた仕事に満足している誰かを直接見ることができるようなものは無い。我々のコミュニティが我々の開発者と、どうやりとりをするかが鍵だ。彼等の仕事に対して、彼等の幸せや彼等のモチベーションに対して、どうするかだ。

(GNOMEコミュニティメンテナーの) Georges Stavracasが彼のブログで彼の経験を語っている。

On Being a Free Software Maintainer – Georges Stavracas

これはチーム内で読んだし、もちろん主要なフリーソフトウェア開発者にも関係していると思う。Georgeのブログで最も楽しかった部分は、ユーザーであった彼がコントリビュータになり、そして結果として開発者となった流れを描いていた部分だった。

我々は、往々にして「ユーザー」と「開発者」の間には隔たりがあると感じる。彼等は別の人間であるかのように、ユーザーは開発者ではなく、開発者はユーザーではないかのように。しかしこれは馬鹿げている。

権限を与えられた開発者が他の誰にとっても明らかなことを理解できないという考えは、政治について大衆が思うことです。権力がどこで腐敗するのかを大衆が最もよく知っているというのは大衆迎合主義者の考えですが、しかしここではそのような考えは打倒しません。ユーザーも開発者もプロジェクトへの貢献度の度合い以外に違いなど無いのです。だれしもがその持てる問題解決能力と知識の限りプロジェクトに貢献できるし、すべきなのです。

私は強い心をもっていると思うし、プロジェクトや、一緒に働く人や我々をとりまくコミュニティを守るのが役割だと思っている。私達は一緒に働くことをとても楽しむ事ができると思うし、これらの関係を育むことも、お互いとのやり取りをできる限りポジティブに建設的にし続けることを確保することが重要だと考えている。

フィードバックは愛すべきものであって、恐れるべきものであってはならない。それは我々のプロジェクトと開発にとって燃料となるものだ。開発者が正しいことをするとき、コミットされることによる変更内容は、ユーザーをより仕合汗にします。ユーザーが正しいことをするとき、フィードバックは、開発者をよりモチベーティブにする結果をもたらします。

感想

すでに次のエントリーで明るめの記事が投稿されているので、少し安心しているのですが、Linux Mintは、19からKDE版がなくなるなど、開発体制も盤石というわけでもないなか、開発チームはすごいがんばっているんだなということがわかりました。
あらためて、ですが、感謝して利用していきたいと思っています。

参考リンク

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